2013年8月26日月曜日
信州民報の昭和21年、
戦後すぐに発刊されたもののアーカイブをペラペラとめくって眺めると、
真っ先に飛び込んでくるトップ記事のコーナーの名前は
「敗因を衝く」「上田のこれから」など、時代性を感じます。
その数々の戦後不安や社会情勢の記事と並んでいるのが、
ダンスホール問題。
記事には「あの、例のダンスホール問題」
と、いった風に書かれています。
おそらく、当時この話で市民は持ちきりだったのでしょう。
具体的な内容としては、(私が流し読みをして理解した程度のものです。)
かつて上田集会場だった場所をダンスホールにする計画が
在中軍によって進められているが、歴史ある上田の集会場を
ダンスホールなんていかがなものか?
と、いった論争のようです。
その後、上田市にダンスホールは設けられたのですが、
上小地域特有の住民自治などなどの歴史をもつ人々の
血が騒いでいたということなのだと思いました。
しばらくして、このような記事が見られなくなったのですが、
昭和22年11月8日の記事にこんな見出しを見つけました。
「経営難のダンスホール農繁期に入って減った客足」
当時の若者は農業従事者が多かったということですね。
なんとなく、都会的なダンスホールという文字と農繁期という文字が
共存していることにユニークさを感じました。
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